茅ヶ崎ゴルフ場 住民が知らなかったこと その1

砂混じりの茅ヶ崎

茅ヶ崎ゴルフ場は、「小和田海岸に大衆ゴルフ場を建設し、名実共に文化都市として愛される茅ヶ崎市を創造する」という念願で、市が県有地4万坪と、農協の払い下げ所有地を借り受けて、昭和32年にスタートした。

茅ヶ崎のイメージの先がけは、サーフィンよりも「茅ヶ崎ゴルフ場」だった。 

当時のゴルフ場の土地は、農地に適さない起伏のある砂丘地。

風の強い時は砂粒が顔を覆うほどで、農地のために防風林・防砂林が必要で、先人の方が苦労して松を植樹されたそう。まさに、砂まじりの茅ヶ崎。

しかし、開発でその松などを伐採したら、いったいどうなってしまうのか?


f:id:Merimaa88:20150812182042j:plain

突然のゴルフ場の閉鎖

その後、市がゴルフ場の運営から撤退。

観光日本(株)が長らく運営を続けて今まで35年間、ゴルフ場をやめるとか開発するという話はなく、存続してきた。 

そのゴルフ場が、突然閉鎖になるという・・・

周辺住民には、寝耳に水の話だった。

「なぜいきなり閉鎖になるのか?」

市の説明は、「観光日本よりゴルフ場の運営から撤退することが、県と茅ヶ崎協同に伝えられた」というもの。

では、「なぜ撤退することになったのか?」

それは、はっきり分からぬまま、時間だけが過ぎていった・・・

重要なことを知らなかった住民

昨年の平成26年5月30日、県から市に「県有地の買い取りを打診する書面」が届いた。(以下の内容)

「県の利用要望がある場合は県の利用を優先、県の利用要望もなく、市の取得意思もない場合は、一般競争入札による民間活用を検討する」 

そして6月18日に、市は「買い取る意向がない」という回答書を県に送っていたことが分かった。

つまり、市は「買い取る意向がない」と同時に、「一般競争入札による民間活用を検討する」ことを承知したことになる。

しかし、「これは重要なことでない」として、この事実を市は議会にも、住民にも報告しなかった。

いったい、このことの、どこが「重要でない」のか?


そのあと、8月18日の全員協議会で、副市長が「茅ヶ崎ゴルフ場については、約20万平方メートルもあり、市が購入するのは不可能で、ましてや県から打診されたこともなく、軽々な発言はできない。」と答弁した。

しかし、前述のように県からの打診は5月30日に受け取っていて、返事も出している。

8月25日の議会で、市長は、「7月に茅ヶ崎市、神奈川県、茅ヶ崎協同で協議を行い、今後の土地利用を考えるに当たって、計画段階から3者の協議を進めていくことを確認した」と発言した。
 
議員の追求(といっても、追求したのは松島議員だけ)によって、やっと発言した。

「なぜ、そういう重要なことを住民に知らせないのか?」と言われたのは当然。

市民参加については、「できるだけやわらかい段階から市民の皆さまに情報提供を行い、ご意見を伺う機会を設ける」とも市長は発言。

しかし、最初の「意見交換会」がひらかれたのは、それから10ヶ月後も後の平成27年6月。
 
そのあいだ、市長はじめ職員・議員、さんざんホノルルに行っていた。

いきなりの紙きれ一枚の報告

市長も副市長も企画部長も、一部の議員たちも、9月の柳島スポーツ公園の入札事業者の決定と、10月のホノルル姉妹都市提携にはたいへんに熱心だった。(木村副市長のサーフィン中の死亡事故の報道と記者会見もあった。)

市民の命を守る問題である「広域避難場所」については後回しだった。

その無関心さは、ほとんどすべての市議会議員も同様で、行政が市民に情報を共有しない、公開しないことをチェックする訳でもなく、11月の市民質問に「まだ何も決まっていない、民民の問題」と答える始末。


その後も、住民側には情報がないまま時間がすぎて、平成27年1月にいきなり、市から紙きれ一枚の報告があった。

「茅ヶ崎ゴルフ場の利活用に関する今後の進め方について」
利用方法はこれから民間事業者から公募でアイデアを募集し、神奈川県、茅ヶ崎市、茅ヶ崎協同(株)の3者で決める。

しかし、住民側の調査が進んでくると、驚くべき事実がいくつも、いくつも出てきた。

(続く)

chigasakigj-news.hatenablog.jp